JKの家

将来の黒歴史

僕とGの共同生活 「降る音や耳もすう成る梅の雨」

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前書き

 タイトルの『降る音や耳もすう成る梅の雨』は若年の松尾芭蕉の特に有名でもない適当にググッたら出てきた俳句なんですけど、とはいえ巨匠の作品だけあって他の句より視覚的イメージがし易いように感じますね。松尾芭蕉宜しく分かりやすい日記を書きたいです。

 

6/15

いや〜6月も後半になりましたね!“今日も”毎日更新頑張っていきましょう!!!

 ところで今蝗害がヤバいらしいっすね。バッタの数はなんと6月15日現在一兆匹を超えるとか!アフリカやアラビア半島で例年以上の雨が降った結果大量発生したんだとか。普段は群生地に殺虫剤を撒いて間引きしていたようですが今年は量が多過ぎて手が回りきらなかったらしい。当初は悠然と聳えるヒマラヤ山脈を超えることが出来ずに自然消滅すると予測されていたようですがなんとバッタ共はヒマラヤ山脈から引き返しインドに逗留している模様。隣国パキスタンにまで魔の手は伸び、中国が全力で殺虫剤を支援してるんだとか。コロナで渡航規制がされているせいで物資での支援が遅れたのも今回の大量発生の遠因だそう。

 日本は周りが海に囲まれているので直接バッタが上陸する危険性は少ないらしいですが貨物に紛れて来る可能性もあるらしいので油断は禁物。それよりも食糧の買いだめをしといた方が良さそう。米こそ自給率はそこそこですが日本は他がダメなのでアフリカやインドだけで取れるやつは買いだめをしといた方が良さそう。僕はタピオカしか思いつきませんでした。

 

以上、変な生き物チャンネル(https://youtu.be/ZPwbZVP6Fzs)からの受け売りでした。明日はBlackLivesMatterについてです。

6/16

最近Twitterのトレンドの地域をアメリカにしている。日本は診断メーカーとか下らないのが多いので。

 そのため最近BlackLivesMatterという話題が良く耳に入るようになった。6月になってから日本でもテレビのニュースで取り扱われるようになったアメリカの根深い人種差別問題を濫觴とする運動のスローガンだ。意味はそのまま『黒人の命も大切』。白人警官に黒人が殺される、という事件は僕が小さい頃からよく聞く。しかしここまで大きな規模になるのは初めてではなかろうか。日本で大暴れしたYouTuberのローガンポールも真面目な顔して#BlackLivesMatterで世間に人種なんてものは関係ないんだと呼びかけていた。リプ欄で『お前も改心したんだなあ』とか言われてて面白かった。

 ところで皆はトランプ大統領がANTIFAという組織をテロ集団認定をしたニュースは観ただろうか。あれも実はこの運動と関わりがある。ANTIFAというのはアンチファシズムの略で具体的な組織形態を持たない緩やかな共同体だ。但し過激派。デモ活動で暴力行為を行ったためテロ認定された。拡大解釈してトランプの弾圧だー!って言ってる奴はまあネトウヨと大体一緒。ANTIFAも雰囲気的にはネトウヨみたいなもんだけど。

 他方で、こいつら含め一部の過激派が暴れ回ったため新たなスローガンが生まれている。それはBlueLivesMatter。あっちだとブルーは警官を表す色なので『警官の命も大事』という意味だ。運動の規模が大きくなるにつれ暴徒化が進み暴力行為も散見されるようになり警官側にも被害が出始めたのだらしい。

 造語繋がりで言うとBlackLivesMatterを『黒人の命“こそ”大事』と捉えるとんでもないドグマも生まれ始めたため最近ではAllLivesMatterと言うようになったんだとか。なんなら白人が敵視されるようになったためWhiteLivesMatterも生まれた。もうこれわかんねえな。

 

人種差別に対抗する運動は結局のところ意識の改革がなされなければ達成されない。明確なゴールといったもの(例えば香港でいえば中国共産党の介入を認める法律を無くすこと)が曖昧模糊気味だ。立法化出来るものではない(過度な暴力を取り締まるものは作れるだろうが根本的な人種間の溝を埋めるには至らない)。少なくとも今すぐに解決する問題では無いことは確かだ。

 人種差別なんてものは日本生まれ日本育ちの日本人からしたらファンタジーなので想像のつかない部分も多い。しかしだからこそ我々はこの問題に注目すべきだと思う。

 いや日本も一応差別はあるか。穢多非人の生まれだと未だに地方で結婚する際に気にされたりするらしいからな。

閑話休題

 社会の変革の仕方が時代が進む事に暴力から離れていきつつあることは肌に感じられる(暴力に頼ることもあるのは重々承知だが一揆の時代よかマシだろう)。それはSNSの普及に伴うものが原因であることは自明だろう。既にSNSは言論世界での市民権を得たと言っていい。粗い所は多いが。例えばインフルエンサーが声を上げそれに知識人が意見を交わし蒙昧共がデカい声で騒ぐだとか。この流れは最近の#検察庁法改正案に抗議します、でも見られた。

 香港のデモがつい先日1周年を迎えたことを僕がTwitterハッシュタグで知った話もいい例だろう。今後暫くはどんどんインターネットというものは存在感を増し続けるだろう。英語以上にネットリテラシーが求められる未来が来るかもしれない。

 Twitterで流れてきた情報だけ見て賢くなったつもりになり偉そうに講釈たれるようになるのでは古代ギリシアのデマゴーゴスの時代から進歩したとは言えない。SNSは特に受動的に得た情報を能動的に得たと錯覚させるのが上手い。

 そこで気になることがあれば確然たる事実を調べ、そこから多角的な意見に触れるという小学生の頃はやっていたことを今でも出来るようであるべきだと思う。

 

 調べるの超大事。昨日の日記書いてる時俺ヒマラヤ山脈パンジャーブら辺にあると思ってたもん。一応調べたら全然違くてまじビビった。

6/17

中高の6年間、僕は一貫の男子校に通っていた。男子校と聞くとどのようなイメージを思い浮かべるだろうか。楽しいとはよく聞く。それは真だ。オタクに人権が与えられる。それも真。女とまともに話せない奴が多い。真。ソースは俺。

 

ホモがいる。

それも“恐らく”真だ。

 

突然だが、事実のみを記述すると同性から数回ナンパされたことがある。「ここら辺で美味しいラーメン屋知ってますか?」と聞かれて気軽に応えて「奢るので一緒に行きませんか?」と言われる恐怖を皆にも感じて欲しい。ホモに詳しい先生に聞いたら『あ〜』って顔されたので普通にナンパでいいと思う。いや良くはないんだけど。

 

で、だ。男子校の話に戻ろう。結論から先に言うと在学中にホモに接近されたことがある。2人いるのだが1人は疑惑の域を超えないのでもう1人の方をメインに話そうと思う。T君としておく(以後T)。

 僕とTは同じ卓球部だった。超余談だが僕は部長をしていた。今後陰キャの王呼んでもらっても構わない。

閑話休題

それ以前に中学受験の塾も一緒だったがその時は別に仲良くなかったのであまり関係ないだろう。最寄り駅も1個違いということもあり一緒に帰ることも多かった。最初は全くそういった疑いはしていなかったのだがTの行動に気持ちの悪い馴れ馴れしさがあったため途中から僕は警戒し始めた。

 例えばずっとこちらのリュックの紐を掴んでいる、だとか。何するにしても着いてくる、だとか(トイレも)。出待ちされた時は震えた。チャリの2人乗りもしたことあるがそれは最初期の話なのでノーカン気味か。

決定的だったのは手を繋がないかと言われた時だ。僕はあーなるほどねだいたいはあくした、と思い高校からクラスが変わったことを機に彼から距離を置いた。英断だったと思う。

 

 僕とTに関してはそこで話は終わるがTの話はまだ続く。彼には恐らく“相手”ができた(以後N)。Nも卓球部で、僕ともまあそこそこ仲が良かったので僕とTとNでよくつるんでいた。今思うと凄いとこいたなとは思う。

 高2くらいから彼らの距離が異様に近い事が学年でも密かに、ボヤ程度には噂されるようになっていた。何するにも一緒に行動し、トイレは個室の前で待ってるし。片方が弁当で片方が食堂の時は仲良く食堂行って一緒にご飯食べてたし。なんだか身に覚えのあるようなことが耳に入ってきていた。

 彼らがそういう仲なんだろうなというのを僕は彼らが手を繋いで歩いてるのを見て確信したし、先ほど話に出したホモに詳しい先生が「この学年に誰とは言わんが恐らく1組いる」との言が裏付けている。僕はホッとした。俺じゃないやつに落ち着いてくれてほんと良かった。彼らが今どうしてるのかは知らないが僕と交わらないところで元気にしてたらいいなあ、と思う。

 

誤解されそうなので最後に注意書きしておくが、僕は別にホモ自体は気持ち悪いものだと思っていない。21世紀の人間として多様性は最大限認めるべきだと思うし、理解し難くとも理解ある行動はとれるのですべきだと思っている。

ただ、その好意は自分に向けられるのはマジ勘弁ってだけだ。ホモだからといって揶揄うことや後ろ指をさす行為はしない。今日の日記に記述されていない事をその証左としたい。男子校という価値観の孤島出身のため好きになったことは無いが普通に女性が好きだ。バイセクシャルではない。だからマジ勘弁。ほんと許して。ナンパとかマジで怖いんだって。なあ、おい!!!

6/18

 無印良品にコオロギせんべいなるものを買いに行った。結論通販のみだったので徒労に終わったのだがせっかくなのでなんでこういう変な食べ物を食べたがるのかを今日は書こうと思う。ちょっと横道にズレるけど毎日原稿用紙5枚分書くの普通に疲れるから明日は多分あっさりした感じに書くと思う。

 

閑話休題

 

 時計の針は僕が高校1年生だった頃の夏まで巻き戻る。その年、学校主催のイベントでマウスの解剖をするというものがあった。厨二病から微妙に脱し切れていなかった僕は、血が見たいぜとか言って参加した。講座の展開としては博物館勤務の動物に詳しい人(何してる人かを忘れた)の説明を受けつつ徐々に解剖していく感じだった。血は既に抜かれていた。

 もちろんその人の自己紹介が最初にあった訳だが、そこでキリンの断面図というかなり衝撃的な画像を見た。キリンは諸兄らが今想像しているであろうあの黄色地の肌に茶色の斑点のある首の長い動物で合っている。どこが衝撃的だったかというとテレビ、または動物園の中という非日常的な動物だったキリンが『肉』としての一面を見せた点だ。これは確かに言われてみればそれはそうだというような話だ。しかし我々は普段キリンやゾウを見て彼らの“ガワ”の下にある筋肉と脂肪、その間隙を縫う血管を感じているだろうか。骨格はともかくそれはないだろう。なぜなら彼らは先述の通り犬猫とは違い我々にとってテレビの中、或いは動物園でしか見れない非日常的な動物なのだから。

 この他にも所詮は人間含め動物など凡て肉袋に過ぎないといった新たな知見を得たがそれはさておき僕の中で『肉』となったキリンを食べてみたいと思うのは自然な流れだったと思う。調べてみればなんとキリンは美味い寄りの動物らしい。当然調べる途中で他の動物の味のレビューも目に入る。僕の触手は様々な動物へと伸びて行った。

 その内の一つが今日の最初に触れた昆虫食だ。蜂の子とかは以前に食べたことあったので昆虫食が見た目がキモイ以外はまあまあイけなくはないことを既に知っていた。今でもそのままの見た目じゃなきゃ食えると思っていることに変わりはない。

 その他にも例えば初日に話した蝗害。転んでもただでは起きないことで高名なニンゲンはタンパク質源としてインドでバッタを研究しているらしい。このように世界は昆虫食に前向きだ。

 それで結局僕がどこに向かってるかというとまあ迷走していることには間違い無いのだがゴールを挙げるのならば人肉だ。カニバリストでは無いことをここに固く断っておく。人肉は流石にレビューが無い。厳密に言うと『〜らしい』っていうのはあるが『〜だった』というのは無い。人肉食は法律で禁止してる国が殆どだ。なんなら特有のタンパク質がなんたらで人が食ったらバカになるんだとか。正直全く現実的ではない。が、凄い気になる。一番身近な動物なのに味も知らないなんて悔しすぎるだろそんなの。なんなら犬猫ですらちょっとだけ食べてみたいとは思ってる。キリンの件で全ての動物を均一視するよつになった僕には全てが食べられるものに見えている。俺は無敵だ。

 ともあれ僕がどう思っていようと無理なものは無理なので、とりあえず自由の身になったら横浜でウーパールーパーが食えるらしいので行って見ようと思ってる。お供無限に募集してます。

6/19

 友達と飯行く約束あったけど理由も伝えられずに延期を希望されたから今後人をアテにして生きるのをやめようと思う。信じられるのは自分だけだ。

6/20

20日ておま。こないだ6月なったばっかやないですか。あー無理死にて〜〜〜〜〜〜〜〜〜

6/21

今日は父の日らしい。姉に「プレゼント用の酒買ってくるから半額寄越せ」と言われ500円を徴収された。家庭内カースト最下位なので為す術もなく奪われた。姉は最近俺でも名前を聞いたことのある凄い企業に内定が決まってノリに乗っている。家庭内格差ヤバすぎて僕がそろそろ勘当されるんじゃないかと毎日怯えている。2親等以上は他人とかイキがってごめん、、、殺さないでくれ。

閑話休題

父の日は世界共通の記念日らしい。例の如くイギリスのTwitterトレンドに『R.I.P Dad』ってのがあったので知った。ふーーーん。

6/22

日記に支配される生活に戻った。少しサボっただけでこんなに辛いだなんて……

6/23

19時まで日が出ててビビった。もう夏かあ。いや梅雨どこ行ったん。

6/24

横浜駅がついに完成したらしい。きょうほんとうにたまたま横浜行ったので完成の瞬間に立ち会えた。なんだか駅内に映画館が出来たらしく、とても嬉しい。ポケモン映画は冬公開になったので受験生な僕は観れないんですけどね。タハハ…w

あと家系ラーメンの元祖、吉村家に行った。なんだかんだ初めてだった。結構美味しかった。横浜はラーメン激戦区なのでもっと調査が必要だが人に勧めるのに躊躇いが生まれない程度には美味しかった。

6/25

ケロンパに恐らくこの日記の存在が発見された。ケロンパ元気か?俺は死んでるけど元気だ

 

6/27

差別系の話を聞く度に地球は小学生の使う虫かごみたいに共存できるかどうかとかお構いなしに手当り次第に生き物をぶち込んだ箱庭なんじゃないかと思う

6/28

東京のコロナ患者数が今日60人以上増えたらしい。第二波だけはマジで勘弁してくれよ……

6/29

今日は障子を張り替えた。前回張り替えたのが高一か中3の時だったから約3年ぶりくらいにやった。最初はやり方を覚えてるもんだと思って適当にやってたら普通によく分かんなかったので大変だった。因みに4枚中1枚しか作業が終わってないのでまだまだやんなくちゃいけない。ぴえん🥺

あとゴキブリを家から追い出すことに成功した。この日記の存在意義は無くなったわけだ。しかし、7月のサムネはかなりいい感じにできたしサブタイも納得のいくものができているので少なくとも来月はやる。

6/30

 妥協じゃなく本気で趣味が読書の人あるあるの自作小説をご多分にもれず僕も書いたことがある(異世界には行かない)

 まあ雑魚なのでどこにも発表してないし完結してないのだが何が難しいのかここに残しておきたい。

 それはどこまで詳しく書けばいいのか、という問題だ。例えば『死んだ目をした男』がいるとする。この男をそのまま『死んだ目をした男』と書くのか『落窪んだ眼窩に水気のない淀んだ水晶体を据えた男』と書くのどちらがいいのかといったような感じだ。この例は結構極端に書いたが程度の差こそあれ、根本的にはこれに通ずる。ややこしいのがどちらが正しいというのが存在しない点だ。状況による。なんでもないようなシーンならば簡潔に書けばいいしそうでないなら詳しく描写すべきだ。

 そこの加減が分からない。日によって違く思える。個人の裁量に任せられる部分が大きいので初心者はセンスに任せるしかない。まあ究極的な話、本の読む側に専念すれば解決するのだが最近はそうもいかない。

 この日記だ。この日記のせいで僕は文章のアウトプットを強いられている。どうだろうか、4月の頃に比べて読みやすい文章になっているだろうか。日記は前述したカテゴリーに当てはめると前者の描写しなくていい側であり、言い換えると冗長になってはならない部類だ。伝えたいことだけ記述するよう削ぎ落とし続けることが正道である。突然文章がお上手になることはないので今後もポチポチ日記を書いてく所存。

 

6月、おわり。