JKの家

将来の黒歴史

生産性について

  こないだ母と飯食ってたら「今後人口がどんどん減ってくから大変な社会になる」って言っててアフリカの方じゃ人口増えとりますけどもって返したら「生産性の低い人達が増えたところでしょうがない」みたいな思想の強いことを言っててドン引きしてしまった。

  俺は社会を知らないガキなので今から書くことが正しいかどうかは分からないが親に言う訳にもいかない反論というか生産性についての俺の考えを書いていく。長くはならないが140字には収まらないのでここで書くことにした。

  母の言い分ではアフリカの人間は生産性が低いということなのでアフリカの人間と日本人の違いに着目する。すると恐らくだが彼女の言う生産性というのは教育をどこまで受けているかという点で差異が生じるパラメーターなのだと思う。流石の俺も大半のアフリカの人間よりはいい教育を受けてきた自信がある。

  ここで一回原点に立ち返って生産性の意味ってものを考えてみると、時間あたりにできる仕事量のことだと言える。要するに1時間にどれだけ畑が耕せるか、ということだ。この例の場合日本のチー牛たる俺よりNTRの竿役みたいなアフリカ人の方が生産性高いよな?

  しかしこの場合でも俺が身体を鍛え農業の勉強をしたら竿役に勝つことができる。つまり生産性っていうのは教育を始めとした環境によっていくらでも変化し得るパラメーターであり、アフリカの人の生産性が低いという言説は(俺の善意で)噛み砕いてやればアフリカの人は教育にアクセスすることが困難という本人に帰属する属性ではなく、環境に帰属する困難であると言える。

  畑を耕す例は極端だが、生まれた時から生産性が低いことを運命づけられた人というのは極小数の困難を生まれ持った人達だけだと思う。

  なんなら日本の問題は農業や介護みたいなマンパワーが必要なのに人がいないってとこで大企業の倍率はアホ高いんだから人間の生産性は問題になってないと思う。実際海外からの労働者って国の制度使ってる奴は大体農業か介護やってるわけじゃん?

  とにかく俺が言いたいのは生産性なんてのは個体値種族値ではなく、努力値もしくはそいつを使う側の問題なんじゃないかってこと。

  俺が間違ってるとしたら人の個体差を大して知らない自覚があるので社会に俺が思ってる以上にヤバい奴が蔓延ってる場合。そしたらもう1回このことについて考えるわ。

  あと俺のオカンが言ってたようなことを普段から言ってるインターネットで有名な人に心当たりがある場合はこっそり教えてください、オカンが変なの見てたらやめさせなきゃいけないので。