JKの家

将来の黒歴史

『推し、燃ゆ』感想 ※ネタバレあり

 初めて読んだ時はそんなに面白いとは思えなかった。というよりは共感できなかった。主人公は女で、推しを信奉している人間だったので、自分と被るものが一切なかった。もっと言えば現状僕は人より長かった受験生としての生活が終わった開放感で満ち溢れているため人生の悩みといえば履修登録がちゃんとできてるかどうかくらいしかないお気楽な人間だ。悩める主人公を見ても「ほーん」としか思えなかった。本とは往々にして悩みのない人間とは相性が良くない。

 

 ここで最初の1行目に戻って欲しい。「初めて読んだ時の」とあるはずだ。こっからはその後の話をしようと思う。僕はなぜ自分が評価できない作品が芥川賞を獲るほどまで評価されているのかずっと疑問に思っていた。芥川賞を受賞しているということは本作が人の心をうつ作品であることの証左だろう。その答えの一つが前述の自分がお気楽人間であるということだが、そんな僕でも感じられるものがある筈だ。そこで色々考えたらやっぱりすごい話だったな、と。以下ではそれを忘れないうちに記述しておこうと思う。備忘録みたいなもん。

 

 本作の主人公は全く行動しない。“推し”を応援することしかしていない。彼女に作者から与えられたテーマは『停滞』である。彼女は作中で、髪といったなにもしなくても成長してくるものに煩わされたくない、という旨のことを主張する。それだけではない。推しと付き合いたいわけではないといって関係性の変化を否定するし感情を爆発させるのは肉体に負けた気がして嫌だとも言った。

 これらはそれぞれ最終的に推しの地下アイドルと付き合うことになった友達と、度々癇癪を起こす姉との対比になっている。

 また、本作は時間の流れが明記されない。気がつくと時間が移っている。客観的な出来事からしか感じ取ることが出来なくなっている。主人公の独白という形で進行する本作は、主人公に合わせて時間の経過を敢えて濁しているのだろう。

 

 思うに、作品のテーマは変わる世界と変わらない私、だ。推しは炎上を期に環境が180度変わる。友達は二重整形をした後推しと付き合い始める。そして拒もうとも私の髪は伸びるし時は流れるのだ。

 

 主人公は家族が嫌いだ。姉の癇癪を『肉体への敗北』と謗り、母は強引で私のことなど考えないと批判し、父が所謂おじさん構文を使い手であることを気持ち悪いと罵った。

 彼女は人の綺麗な部分しか見たくなかったのだと思う。彼女の生活はだいぶだらしない。一人暮らしが始まってから部屋が足の踏み場もない程に散らかっていたという描写がある。彼女も彼女の忌み嫌う醜い人間で、だから“推し”を推している。彼が炎上しても、物語の最後になるまでそこに何故という疑問を挟まない。挟めない。挟みたがらない。

 

 最後は彼女が自分も市井の小さな人間であることを自覚して終わる。それが彼女の第一歩なのだろう。